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管理人:あわいゆきこ 返信
これは「オラショ」という隠れキリシタンが隠し持っていた、お祈りの書かれたテキストです。
オラショとはポルトガル語で「お祈り」という意味だそうです。
隠れキリシタンが神父様(パードレ)から学んだお祈りを、耳で聞いたまま300年あまり伝承され続けて来ました。

長い年月の間、隠れキリシタン独自の言葉に変化して意味不明・・。
しかしながら、現代も隠れキリシタンの血を引く人々はこのオラショを唱えて先祖の供養をしています。
最近知ったのですが、隠れキリシタンは今も現存しているそうです(◎_◎;)先祖の言いつけを守り、密かにキリスト教を信仰し暮らしているそうです。
恐るべし!信仰の力!
カソリック総本山のバチカン(ローマ)から最も遠いであろう極東の地日本に、ザビエルがキリスト教を伝えてから469年・・この長い年月を、どんな迫害にも耐え命がけで守り続けている信仰・・そんな民が現代も居る事は本当に奇跡です。

この世界の何処にも無い信仰の奇跡と、長崎に落とされた原爆の意味・・・大きな繋がりがあるのだと思います。
神様の計画なのだと感じます。

今年の夏に潜伏キリシタン関連が世界遺産に認定されました。
キリシタンと原爆・・長崎はこれから益々「世界平和への祈り」の発信の場として大きな役割が有る事を確信します。
長崎キリシタン取材記つづく

昨日はお天気も良く、旧真悟事務所(中尾)に行き資料などの整理をしました。真悟先生が絵画を描き始めた頃(25年前)の私が書いた記録のような物が出て来て(まるで発掘です)当時の事を細かく知る、貴重な資料発見!となりました。
今後はこの記録から分かった事を展示会などで、説明させていただきます。

世界が平和でありますように!みんな明るく幸せに!
ありがとうございます
2018/10/19(金) 05:13 No.4007
管理人:あわいゆきこ 返信
日本二十六聖人記念館の展示物の説明に再び戻ります。

これは、踏み絵です(本物)
禁教時代にキリスト信者を見つけ出すために、使われた事はカソリック信者でなくても良く知っていますね・・学校の教科書に踏み絵の写真が載っていたのを思い出します。
2018/10/18(木) 04:43 No.4006
管理人:あわいゆきこ 返信
ジュリアン様のお導きで、長崎取材は奇跡的な事が色々起こったのですが、その一つをご紹介します。

浦上天主堂は早朝に一度訪れて、取材しましたが、今回の重要な目的の一つである「被爆マリア様に会う」事の実現には、教会が開場している時間じゃないと会えません。

という事で、開場時間に再び浦上天主堂を訪れました。

そして、被爆マリアと対面が実現しました。
被爆マリアや教会内は撮影は禁止ですが、不思議な事が起こりはじめました。
見学していた他の観光客がいつの間にか、全く居なくなり真悟先生と私二人だけに成ったのです。

そして、ダメもとで教会に居た係り員の方(神父さんのような感じ)に事情を説明して平和の絵を描きたい事を伝え、「マリア様の写真を撮ってもいいですか?」とたずねてみました。
そうしたら、ナント!特別に撮影許可が居りました。


ちなみに、この写真は浦上天主堂の内部です。
真悟先生が写した物ですので、芸術作品のようです。
神様の光を感じます♰ アーメン
2018/10/17(水) 04:44 No.4005
管理人:あわいゆきこ 返信
日本二十六聖人記念館には中浦ジュリアンの貴重な資料が展示されています。
これは、ジュリアンの肖像画(複製画)です。
原画はローマのサンタ・マリア・デル・オルト教会に展示されています。
日本を出発した頃は少年だった彼も、この絵ではすでに立派な青年に成長しています。
2018/10/16(火) 05:20 No.4004
管理人:あわいゆきこ 返信
取材記とは別ですが、昨日の夕方の5時前頃に私の住まいと真悟先生のアトリエの真上をオスプレイが飛行しているのを目撃!!
事前に岡山市内の住民の住む地域頭上を通過する情報も全く無く、危険なオスプレイの飛行を許していいのだろうか?
話題に上がらないのは何故??
国と県政に対しての不信がつのります(*_*;

国民の知らない間に、何かが動いている・・・?
最近は南海トラフ巨大地震の心配や気候変動による天災の数々、原発事故の不安だけでも大変なのに・・これ以上、戦争がらみの恐怖を与えないで欲しい!と思います。

ヘリコプターの音が聞こえたら、必ず外に出てこれからも観察を続けて行こうと、決意を新にしています。
国の行いにだまされないぞ~!未来の子供達の為にも!

神様ありがとうございます

2018/10/15(月) 07:28 No.4003
管理人:あわいゆきこ 返信
今から436年前に4人の少年がキリスト教を学ぶためにローマに派遣されました。
「天正遣欧少年使節」と言われ1582年(天正10年)に日本を出発しました。長崎→マカオ→ポルトガル→スペイン→イタリアのピサに到着後→フィレンツェ→ローマ→ミラノと滞在先の地で大歓迎を受け、当時ヨーロッパでは未知の国日本から来た少年達の人気は大スター並みだったようです。
現代でも各国で彼らの足跡は残っていて、日本より遥かに有名な存在です。
日本に帰国したのは1590年(天正18年)ですが・・・可哀そうに、禁教令が始まっていました(*_*;
この四人はその後、壮絶なる運命をたどります。
2018/10/15(月) 05:50 No.4002