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管理人:あわいゆきこ
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取材記とは別ですが、昨日の夕方の5時前頃に私の住まいと真悟先生のアトリエの真上をオスプレイが飛行しているのを目撃!!事前に岡山市内の住民の住む地域頭上を通過する情報も全く無く、危険なオスプレイの飛行を許していいのだろうか?
話題に上がらないのは何故??
国と県政に対しての不信がつのります(*_*;
国民の知らない間に、何かが動いている・・・?
最近は南海トラフ巨大地震の心配や気候変動による天災の数々、原発事故の不安だけでも大変なのに・・これ以上、戦争がらみの恐怖を与えないで欲しい!と思います。
ヘリコプターの音が聞こえたら、必ず外に出てこれからも観察を続けて行こうと、決意を新にしています。
国の行いにだまされないぞ~!未来の子供達の為にも!
神様ありがとうございます
2018/10/15(月)
07:28
No.4003
管理人:あわいゆきこ
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今から436年前に4人の少年がキリスト教を学ぶためにローマに派遣されました。「天正遣欧少年使節」と言われ1582年(天正10年)に日本を出発しました。長崎→マカオ→ポルトガル→スペイン→イタリアのピサに到着後→フィレンツェ→ローマ→ミラノと滞在先の地で大歓迎を受け、当時ヨーロッパでは未知の国日本から来た少年達の人気は大スター並みだったようです。
現代でも各国で彼らの足跡は残っていて、日本より遥かに有名な存在です。
日本に帰国したのは1590年(天正18年)ですが・・・可哀そうに、禁教令が始まっていました(*_*;
この四人はその後、壮絶なる運命をたどります。
2018/10/15(月)
05:50
No.4002
管理人:あわいゆきこ
4人の少年は伊藤マンショ、千々石ミゲル、中浦ジュリアン、原マルチノで、年齢は13歳~14歳の優秀な少年達でした。その中で中浦ジュリアンの存在が、今回の私達の長崎取材が原爆関係だけでなく、キリシタン関係も取材するように大幅にスケジュール変更させました。
ちょっと不思議な話なのですが・・・長崎取材旅行の数日前に、見た事の無い少年が脳裏に浮かびました。直感で分かった事は「天正遣欧少年使節」の誰かだぁ~!!という事で、あわてて調べて直ぐに容貌やたどった運命でそれが、中浦ジュリアンだと分かりました。
この銅像の美少年が中原ジュリアン少年です・・脳裏に浮かんだ少年に似ています。私の脳裏に浮かんだお顔は正面からの端正な顔立ちの少年でした。
つまり、今回の取材は中浦ジュリアンが導いてくれる事なので、スケジュール等も自然に湧いてくると思い、ジュリアン様任せに行動をとる事にしました「ジュリアン様がご加護下さるから、きっと奇跡的な事も起こるだろうなぁ~」と・・実際神様のお導きだぁ~と思う事が沢山おきました。
長崎キリシタン取材記つづく
伊調選手の復帰戦優勝!良かったぁ~(^O^)/
彼女の悪に屈しない精神を、レスリングを通して伝えて欲しいと切に願います。応援しますよぉ~!!!
では、皆さん今日も一日お元気でお過ごし下さい。
世界が平和でありますように!みんな明るく幸せに!
ありがとうございます
2018/10/15(月)
06:19
No.1
管理人:あわいゆきこ
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日本二十六聖人記念碑「昇天のいのり」の裏には。記念館があります。朝から原爆関係の取材とこの巡礼地に入り、精神的にはつらい取材が続いています、この自動販売機を見てちょっと心を和ませました。
日本二十六聖人記念館の、ここでしか見ることの出来ないご当地自動販売機です。
2018/10/14(日)
06:20
No.4001
管理人:あわいゆきこ
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長崎の街自体があまり広くないので、車を止めていた平和公園から次の取材地「日本二十六聖人殉教の地」は車で10分ほどの所にあります。豊臣秀吉が発した禁教令により、二十六人のキリスト教(カソリック)信者がこの西坂の丘で十字架にかけられ処刑されました。
西坂の丘は、キリストが処刑されたゴルゴタの丘に似ているという事で、この地が選ばれ当時数千人の人々がその処刑を見守る為に丘の周りに集まったそうです。
この二十六人の殉教者の姿を蘇らせた慰霊碑の像の中に、小さな子供が居るのを見つけることが出来ます。
十二歳の少年ルドビコ茨木、十三歳の少年長崎のアントニオ、十四歳の少年トマス小崎の三名です。
この、二十六人の殉教は当時日本よりもヨーロッパに広く伝わり、どんな弾圧にも屈しないで信仰を守り続けた姿に、現代に成ってもカソリック信者の尊敬の念を集めています。
2018/10/13(土)
04:25
No.4000
管理人:あわいゆきこ
二十六人の内わけは、日本人20名、スペイン人4名、メキシコ人1名、ポルトガル人1名です。この方達は、京都、大阪で捕まり悲惨な事に左耳を切り落とされ京都市内を引き回し・・その後なんと!徒歩で長崎まで移動させられました。極寒の季節・・岡山の旧山陽道を歩いて通過したと思うと・・心が痛みます・・どんな思いで長崎の地を目指したのだろうか?
私の想像するには・・神父様と共に益々信仰の力は強く成りお祈りし続け、全員が死を恐れない気持ちに成って行ったのだろうと思います。
棄教すれば死を逃れる道もあったのに「(この世の)つかの間の命と(天国の)永遠の命を取り替えることはできない!」と、イエス様と同じ処刑される運命を選んだのでしょう。
2018/10/13(土)
04:48
No.1
管理人:あわいゆきこ
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2018/10/12(金)
04:58
No.3999
管理人:あわいゆきこ
この、パノラマ写真は爆心地周辺を写した物ですが、私達の原爆慰霊と取材はこのエリアのほとんどを歩いて周る事ができました。普段から毎日、世界の平和と皆の幸せを祈る事が使命と思い暮らしていますが、長崎の地で祈る事は又別の感覚があります。
とにかく一生懸命にお祈りさせていただきました。
真悟先生の取材も充分に出来たようで、長崎の被爆と平和の祈りをテーマにした作品が誕生する事が楽しみです。
原爆関係の取材はここまでで、次の取材テーマは「キリシタン」です。今度は車に乗って、キリシタン殉教の丘に向かっていざ出発!です。
長崎取材記つづく
昨日は京都~滋賀方面に車で行ったのですが、山陽道の続きに新しい道が出来ていてビックリ!京都までワープしていった感じでとても行きやすくなりました。
ちょっと寒くなって来ましたね、皆さん風邪を引かないようにお気を付けください。
世界が平和でありますように!みんな明るく幸せに!
あいりがとうございます
2018/10/12(金)
05:59
No.4
管理人:あわいゆきこ
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山王神社にもお参りにいきました。お社に向かう階段の両脇に、立派な御神木が・・その巨大さにまずびっくりしたのですが、説明版を読んで二度ビックリ!!
原爆の爆風に耐えて残った大クスが見事に蘇った姿だったのです。
2018/10/11(木)
04:23
No.3998











