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管理人:あわいゆきこ 返信
戦艦陸奥の慰霊公園には、乗組員以外の慰霊碑がありました。

それは、たまたまその時に研修の為に乗艦して奥陸と運命を共にした土浦航空隊の予科練さん(16歳、17歳)の124名の慰霊碑でした。

若い命が無意味に散って逝った・・(=_=)
これも戦争の悲劇・・お母さん達は何の為に可愛い男の子達を育てたのか・・戦後、73年経っても国は責任を逃れ真実は追及されていないままです。

アメリカに媚びを売って生き残った戦犯達・・後に政治家に成って日本を立て直したのは事実かもしれないが、その後を継いで政治家に成った子孫たちが今、同じ過ち(戦前)を犯そうとしている現代、いまだに自分たちの利益だけを考えて政治を牛耳ろうとしている安倍政権がまさにそうです。

戦後はまだ終わらず・・・総理の交代を願うばかりです。
2018/08/27(月) 05:30 No.3957
管理人:あわいゆきこ
慰霊の説明文です。

私が何故、この慰霊碑に心を寄せたかと言うと、私の母の兄が土浦航空隊の予科練を卒業して航空母艦「瑞鶴」(ずいかく)の航空隊として昭和19年6月19日にマリアナ沖海戦で戦死したからです。

周防大島の沖で亡くなった予科練さん達とは多分同期か、伯父の方が一年先輩です。
不思議なお導きで予科練さんの慰霊が出来た事に感謝です。
2018/08/27(月) 05:39 No.1
管理人:あわいゆきこ
伯父は瑞鶴航空隊のゼロ戦パイロットでした。

この写真は、浜松エアパークに展示されているゼロ戦(本物)の前で伯父の遺影をかざしている写真です。

伯父は享年二十歳・・すべてにおいて優秀な青年だったそうです。
国の戦争政策は大きな過ちでしたが、兵士一人一人の志は純粋で尊いものでした。
その純粋な心の根底には、「皆の幸せと平和を願う」という心が脈々と流れていたのです。

私は子供の頃から、いつも兵隊さん(伯父)がそばに居ると感じて現在に至っています。
常にこの伯父が私の背後で守って下さっているという感覚です。

私は、20過ぎから自分の使命は「平和を祈る事」という自覚がはっきりあります。
戦争で散って逝った尊い沢山の命・・私達の使命はこれからの時代の子供達に戦争の無意味さ、悲惨さを上手に伝え平和な日本の継続を祈る事だと思っています。

その方法として、芸術とスポーツがいちばん自然に平和を伝えることが出ると考えています。

だって、戦争が起きたらスケートも出来ない絵も描けない・・(=_=)そんな悲しい時代はもうマッピラ!絶対にダメ!!

今日も祈ります。

世界が平和でありますように!みんな明るく幸せに!
ありがとうございます

2018/08/27(月) 05:58 No.2