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管理人:あわいゆきこ
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今日8月6日は広島に原爆が投下されて73回目の「原爆の日」です。午前八時から平和記念公園で原爆死没者慰霊式典が開催されます。
TVでも生放送されますので、真悟先生も私も現地で式典に参加する気持ちで、平和を祈ります。
原爆は人類が造った最も卑劣で最悪な爆弾です。
その爆弾は人類に投下されて生んだ大悲劇から73年経っても、その惨状は封印され、保有国は手放そうとしません。
そればかりか、日本人ですら原爆を知らない若者が増えているばかりでなく、核保有にイエスと考えている政治家や国民が居る事が本当に嘆かわしく、怒りを通り越して悲しさを覚えます。
原爆が投下されたらどうなるか・・被爆者は高齢化し、彼らから直接お話が聞けるチャンスはどんどん失われています。
日本国民一人一人がもっと原爆を学び、次の時代の子供達に平和意識を教え原爆の悲惨さを伝えて行かなければと強く思います。
この原爆ドームは写真ではありません、真悟先生の描いた「世界に平和の灯がともるその日まで」です。
真悟先生のおじいさまは爆心地から約1㎞の場所(広電の中)で被爆しました。おじいちゃんの心を受け継ぎ、平和の祈りを込めて原爆ドームを描きました。
どうぞ、皆さん今日一日は広島に思いを馳せてお過ごし下さい。
世界が平和でありますように!みんな明るく幸せに!
ありがとうございます
2018/08/06(月)
05:22
No.3937
管理人:あわいゆきこ
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目的地である「陸奥記念館」に行くには、周防大橋から車で45分ほど海沿いを走ります。周防大島の形が金魚に似ているという事で、観光名物「金魚ちょうちん」が生まれたようです。
「陸奥記念館」は金魚のシッポにあたる場所にあります。
2018/08/05(日)
05:04
No.3936
管理人:あわいゆきこ
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山頂での慰霊墓参を無事に済ませて、村の人達との懇談後、私達は次の戦争慰霊の目的地である周防大島に向かいました。上関半島から車で30ほどの所の柳井(やない)という町から周防大島に渡る立派な橋があります。
船に乗らなくても行ける島なので、とても便利です。
写真は宿泊ホテル(大観荘)から写した周防大橋で対岸が柳井の街です。
この周防大島は戦艦「陸奥(むつ)」の最後の地となった場所です。
戦争慰霊の旅報告つづく
今朝はこれから早朝練習があるので、出発します。
では、皆さん今日も一日水分補給を良くしてくださいね!
世界が平和でありますように!みんな明るく幸せに!
ありがとうございます
2018/08/04(土)
04:24
No.3935
管理人:あわいゆきこ
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慰霊塔のある頂上に到着!すでに村の人達は集合して下さっていましたので、さっそくお坊様の読経と共に慰霊法要が開始されました。志田沖海戦当時、志田村のお寺の住職は徴兵されて村にはおらず、お隣の平生(ひらお)町にある法隆寺の住職が供養にかけつけました。
それから、73年が経ち今も法隆寺から3代目の若い住職が法要に来てくださっています。
2018/08/03(金)
04:54
No.3934
管理人:あわいゆきこ
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目的地に到着!早速、慰霊碑に向かいました。73年前に埋葬された場所は山頂にあります。
当時、まだ戦闘中だったのですがアメリカ軍に気づかれないように、父や他の兵士達が村の人達の協力を得て、17名の御遺体を何日もかけて荼毘にふしたそうです。
御遺骨は、浜辺に擱座した「聖川丸」の姿が見えるように、という村の人達の優しい心使いで、山頂へ埋葬されました。
その御遺骨は「聖川丸」に配備されていた弾薬箱に納められたそうです。
2018/08/02(木)
06:18
No.3933
管理人:あわいゆきこ
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7月25日当日の朝3時半出発で、真悟先生、梶川氏と私の三人は山口県上関町(志田村)へ向かいました。先日の豪雨災害でしばらく山陽自動車道路は不通になっていましたが、幸い解除されましたので四時間ほどで現地に到着することができました。
でも、途中で見た山陽道等での豪雨災害の爪痕はすさまじい物でした(*_*;
写真は上関に到着する前の風景で、山頂の風車は平生町にある物でここは展望台にもなっていて、美しい瀬戸内海が一望できます。
2018/08/01(水)
05:18
No.3932
